当團の歩み

 当團の歴史は、昭和16年に結成された応援統制部から始まった。応援統制部は、各部会の有志によって構成され、羽織、袴に下駄、角帽という出立ちであった。当時は、学生数が少なかったということもあり、野球の試合がある時は、大学を挙げて球場へ行き、応援統制部の指揮の下、活発な応援が行われていたようだ。しかし、第二次世界大戦の勃発により、その活動は中断を余儀なくされたのである。
 大戦が終わり、いわゆる占領時代が始まった。連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーは、特に日本の教育制度の改革に熱心であり、マッカーサーの指示で、武道系のスポーツは禁止された。剣道は、その名さえ竹刀競技と言えという時代である。しかし、一部の教授や職員の努力により、まずは剣道部が再興され、やがて弓道部、柔道部なども再興された。こうした時に応援団再興の声が高まった。そして、武道系のスポーツが復興したのと同様、教授や学生有志の努力により、昭和23年に、単に野球の応援をするだけでなく学生の一切のクラブ活動を応援する団体として、麻生吉郎を戦後の応援団の初代團長とし、復活したのである。この年の暮れに、初代の團旗も作製され、概ね陣容が固まった。
 昭和24年、当團は、他大学五校(駒澤大学、専修大学、中央大学、東京農業大学、日本大学。五十音順)と共に東都大学応援団連盟を結成し、当團初代團長麻生吉郎が、連盟の実務上の責任者である幹事長を務めた。そしてその2年後の昭和26年に、東都大学応援団連盟を発展的に解消して、全日本学生応援団連盟を結成した。
 その後、徐々に応援団としての形が整えられていったが、昭和36年頃に、現在の当團の基礎が作られた。学生服・白ワイシャツ着用、腕章・團バッジのデザイン制定、演技の振り付け、規律、合宿のやり方等は全て、この時のものが現在の源流である。また、現在の本学体育連合会吹奏楽部の前身組織であるブラスバンド部も、この時、当團の中で結成された。昭和37年には、二代目の團旗も作製された。
 こうして基礎を固めた後の10年は当團の成長期である。團員も増え、それに伴い活動の幅を広げ、新しい演技種目も次々に考案された。その活動は充実したものとなり、学内外の信頼を得るようになった。
 そして昭和46年には、「國學院大學應援團」から「國學院大學全學應援團」へと名称を改め、それまでの一部会的存在から自治活動の一翼を担う組織へと昇格した。このことは、それまでの活発な活動により、当團の存在とその意義が学生や大学側から正当に評価されたものであり、当團の歴史上、画期的な出来事であった。
 その翌年、昭和47年には、全日本学生応援団連盟本部校を引き受け、20校余りが約3キロの團旗パレードを行った後、日本青年館に集合し、連盟本部記念祭を盛大に挙行した。さらに、昭和54年度にも、全日本学生応援団連盟本部校を引き受け、この時も20校余りが笹川記念館に集合し、連盟本部記念祭を盛大に挙行した。
 昭和50年代に入ると、日本全国の大学応援団で、団員の減少が顕著となってくる。大学生の部活離れと、応援団自体の組織構造上の問題もあり、他大学応援団の中には、活動が困難となる団体も現れてきた。当團においても團員の減少は、ゆるやかにではあるが確実に進行し、昭和60年代には、10名前後での活動を余儀なくされるようになった。こうした中でも、昭和60年には、全日本学生応援団連盟本部校を引き受け、渋谷公会堂にて連盟本部記念祭を盛大に挙行するなど、血気盛んに活動に取り組んだ。
 しかし、時代が平成に入る頃には、学生気質の大幅な変化などの影響を受け、團員数が一時、5名を下回るまでとなった。このような中、大変な危機意識を持った当時の監督を中心に、良き伝統を守り、悪しき伝統を廃するといった、当團の大改革が行われる。その結果、減少傾向にあった團員数も平成7年頃から上向きとなり、平成10年には、全日本学生応援団連盟本部校を引き受けるなど、再び、当團に活気がよみがえった。また、同年には、当團を中心とした有志複数校が、長野パラリンピックにて出場選手を応援し、テレビでも取り上げられるなど、大きな話題となった。さらに、平成13年頃から数年間にかけて、渋谷区の公式行事に出演したほか、平成15年、平成17年には全日本学生応援団連盟の委員長校を引き受け、大学から表彰を受けるなど、内外に積極的な活動を展開し、平成の隆盛期を迎えた。
 しかし、平成10年代後半から、組織の制度疲労など様々な要因により、再び團員数が減少に転じ、活動も停滞しがちとなる。この状況は比較的長く続いたものの、現在、多くの関係者の危機意識のもと、現状を打破するべく、大学応援団の意義の整理、ブラスバンド部・チアリーダー部の創設、応援方法の改良などの改革を推進している。今日における大学応援団の在り方を追究し、人を涵養する役割を担った組織を自認しながら、その意義を社会に発信していくため、日々活動している。